どんな生き物であっても、赤ちゃんはかわいい。見ていると、こちらもついほほえんでしまう。純真無垢なその表情・まなざしは条件なしに魅力的だ。
3歳未満の赤ちゃんも戦前は「物品」として法律上扱われていた事は、以前「物品」で話をしたが、これほどまで「犬」を飼う人が増えてきた今、「犬」という生き物に対する社会的な権利を考えさせられる場面に、よく遭遇する。
先日、港区六本木にて、トレーニングを担当していた時のことだ。「WAIT(待つコマンド)」の練習をすべく、場所を探していた。少し広めの舗道をみつけ、他の方に迷惑がかからないように、端に寄って練習をしていた。そこへ、3~5歳前後の子供達を連れて歩くナーニー(保育士)の方々が近づいてきた。おそらく、そこは、いつも歩いているコースなのだろう。 場所柄もあり、その子供達は、ほぼ外国人のようで、日本人と3人ほどの外国人のナーニーの方々が連れていた。
先頭のナーニーが私達に近づいてきたときの事だ。日本人のナーニーに「犬を嫌いな子供もいるので、犬をどけて下さい」と言われた。これには、驚いた。私は犬を人間の子供以上に崇めるつもりも、誇示するつもりもない。ただ、疑問を感じたのは、そのナーニーの「犬」と「人間の子供」に対する認識と考え方だった。とはいえ、直ぐに私達は舗道の端に寄り、犬は穏やかな顔でお座りをしていた。ここに、何故「お座り」や「伏せ」を犬に教えるのか?という概念もある。
しつけの本には、『吠える犬には「お座り」をさせましょう』と書かれてある。なぜなら「お座り」の体勢は立っている状態よりも吠えにくいし、犬本人も落ち着きやすいからだ。さらに他の人や犬に対する配慮も踏まえ、犬に「お座り」や「伏せ」を教えたいと思っている。それは何か?
動物園にいる「トラ」や「ライオン」は怖い。しかし、彼らが仰向けになって寝ていると「かわいいな」と感じないだろうか?いつもは無表情でおっかないお相撲さんだって、笑うとかわいい。
「犬の芸」には特に意味はない。しかし、一般的に「怖い」と思われている大型犬が、ちょっとした芸が出来ると「かわいい」と思われ、見えない「壁」を乗り越えることが出来る場合がある。その時、私が担当していた犬は、穏やかな表情でお座りをしていた。もの凄い犬嫌いであれば、それさえも鼻に触るかもしれないが、その出で立ちは、少なくとも周囲に「恐怖心」を与えるものではなかっただろう。
また犬同士でも同じようなことが言える。
相手の犬が吠えてきたとき、自分の犬が、おとなしく「お座り」や「伏せ」をできていたら、相手の犬にはどう映るだろう?残念ながら相手の「一人負け吠え」状態に陥る。少なくとも、売られたケンカをかわなかったのであれば、こちらに不備はない。さらに、その体勢は相手の犬に「まぁ落ちつこうよ」と話しかける「犬語」とも言える。つまり、犬同士の争いを軽減するためにも、あらゆる状況下におけるコマンドの完成度には意味がある。それは、自分だけでじゃない「周りへの配慮」から生まれるもの。
幸いにも、次に通りすがったブロンドヘアーのナーニーの方は、犬に声をかけたり触ろうとする子供達に「Gentle(やさしくね)」と声をかけながら笑顔で去っていった。
もし私に子供がいたら、あんな人に自分の子供を見てもらいたいな、、、と思った。そしてそんな大人でいたいと思った。
(05.12.23)