「君のためなら死んでもいい」
よくドラマなどで聞く台詞。でも、今の私は、どうしても違和感を覚えてしまう。
よく、leash(リーシ)をはずして歩いている人がいる。犬に本能が存在している以上、動く物、音にはどうしても反応してしまうのが常だ。だが、私は真似をしたいとは思わない。
以前表参道をあるいている人と犬をみて、ある外国人が私に「日本の犬は寂しそうだね」と口にしているのを聞いた事があった。確かに後ろ姿が寂しげだったな。leash がついていない状態でも「飼い主に沿って歩かなければならないんだ」と、義務的にしつけられてきた場合、そんな風に映るのかもしれない。
果たして、当の犬はどう思っているのか?
仕事犬として、ハンドラーにつくす盲導犬や介助犬と、家庭犬の違いはここにある。仕事犬は、訓練時「個性」を切り落とす作業をする必要がある。例えば、盲導犬になる犬が、比較的「人好き」だったらどうだろう?もちろん、人嫌いであるよりはいいのだが、通りで会った人に「よく頑張ってるわね」って声をかけられて「ありがとう〜」ってその人に挨拶をしにいってしまったらどうだろう?同時に、盲目なハンドラーの命はない。つまり、仕事犬として努める犬たちは、そういった懸念が一切起こらないように訓練される必要があるのだ。
以前は家庭犬にもそういったしつけ方をする事が多かったようだが、最近は、家庭犬として、それぞれの「個性」を引き立たせる為のトレーニングが広まってきたようで嬉しく思う。
実際、カナダでも未だ体罰でしつけるトレーナーもいる。しかし、そういった「しつけ方」うんぬんではなく、その犬にあったしつけ方をきちんと判断し、生活環境も含めて、選んでいけたらいい。
私は、日本での「犬との暮らし」について、これからやりたいことが沢山ある。それは、他の人が聞いたら「とても実現出来ないよ」って笑うかもしれない。でも、これから、自ら責任を持てる「言葉」と「態度」で「振る舞い」に移して指針を伝えていこうと思っている。
「君のためなら死んでもいい」
もちろん、そういう気持でいることは大事かもしれないけれど、今の私は、そう口にする位だったら、そうなるように努力したいと思う。
だから、モテないんだろうな。
(05.12.04)