29.ジョアン・クラッチャ

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数年ぶりに再会した K9 kinship オーナー Joan klucha(ジョアン・クラッチャ)。彼女の笑顔は相変わらず素敵だった。今回の再会までの軌跡は、容易ではなかった。 当時、Vancouver にあるトレーナー養成学校に通い始めていた私は、犬のトレーニングそのものに疑問を感じていた。最近では日本でも「褒める」トレーニングが主流になりつつあるが、最初に入校した学校では、チョークチェーンと呼ばれる器具を主に使用し、いわゆる陰性強化といわれるトレーニングを行っていた。 ある日、トレーナーが、まだ4ヶ月にもならない子犬に「SIT」とお座りをさせようとしたとき、直ぐにお座りが出来ない子犬の首元のチェーンを真上につりあげていた。もちろん、子犬は苦しみながら座り込む。 その後、お座りが出来た子犬はトレーナーに褒められていた。しかし、「もっと他に方法はないの?」これが、初めてそれまで信じていたトレーニングメソッドについて、抱いた疑問だった。もし、子犬が意識的に指示に反発をしてお座りをしなかったら「きっかけとしての痛み」は介在するのかもしれない。しかし、どう考えても、私には子犬が、こちらの意図を理解出来ていないようにしか見えなかった。その方法しか知らなかった私は、その学校に通い続けながら、自分が納得出来るトレーニングを提供するトレーナーを捜し続けた。 1998年、そうして出会ったのが Sierra K-9 オーナー Joan Klucha だったのだ。彼女のトレーニングの考えは「犬が間違った行動をしたときにしかるだけではなく、我々が望む行動をしたときに褒めることの方が大事。 そして、その理想の行動を導くのはあなた自身である。その為の犬の特性やボディーランゲージを飼い主も楽しく学ぼう」というものだった。 明らかに異なるトレーニングメソッドに驚愕し、直ぐに飛びつこうとしたが、「ひとつの方法しか知らないということは、考え方が偏ってしまう危険性がある。逆の考え方だからこそ、その方法もきちんと理解する必要がある」と考え、初めの養成学校のプログラムを全うした後、Joan のプライベートクラスを受講し始めた。 私は、その年から Vancouver でトレーナーの仕事に就き、2000年から東京での活動を始めた。帰国当初、カナダとの「生活環境の違い」や「犬文化の温度差」等の難問にぶつかっても、誰に聞くこともできず、毎回毎回が自分自身との格闘だった。そうして、日本の生活環境にあったトレーニング・プログラム構築に努めてきたのだが、あれから、7年。途中何度か、共にレッスンを行ったり、ミーティング等の、やりとりをしてきたが、今回数年ぶりに、自分の原点であるカナダに戻り、今度はトレーナーとして Joan のプライベートクラスを受講した。 そして・・・ 数年ぶりのトレーニング終了後、何物にも代え難い「温かな気持ち」になれた自分がいた。そして、何よりも、FIDO の事が、もっと好きになった。ドッグトレーナーというと、厳格漂うようなイメージが先行したり、そのトレーナーが、あたかもマジシャンのように犬の行動を治してしまうイメージがあるかもしれない。しかし、知識やテクニックを身につけていても、人の心を温かくすることは出来ない。そのトレーナーが「人として」素敵で魅力的であるからこそ、それが自分の犬を通して伝わってくるものなのだ。 私は「師」を持たないことにしている。なぜなら、犬の世界にはゴールがなく、未知数でもあり、自分自身一生追求していきたいからだ。しかし、私は、Joan を人として崇めている。自分もJoan のように、犬を通して、人の心を温かくできることが出来るトレーナーでありたいと改めて思った。 Joan は、Vancouver の新聞で、数年間コラムを担当している。しかし、新聞での彼女の意見や考えは、たとえ自然に囲まれたVancouver と言えど、時にして人の反感をかう。最近、彼女は、この街で愛犬と暮らすことに安らぎを感じられなくなり、さらにローカルなところへ引っ越していた。 彼女が望み、伝えたいことは、人と犬の「共存」という、ほんの些細な幸せ。しかし、組織や一部の特異な人によって、それすらも難しくなった。それでも、彼女のクラスは常に一杯だ。彼女の「人柄」を支持するクライアントは、顕在している。 確かに私も、メディアでの扱われ方については色々あったけど、今回の再会を機に、これまでの自分の専門家としての姿勢と意識が間違っていなかった事を確信できた。これからも、いつも応援してくれているクライアントにもっと恩返しが出来るよう、勇気を持って次の大きなビジョンにむかって進んでいこう。きっと、Joan も私も、10年後、形は違っても、次の目標に向けて、この仕事を笑顔で続けているに違いない。 (05.11.07)