28.SPCAから学んだこと(2)

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犬嫌いの人に出会った。 この仕事をしていると、犬好きの人と出会う機会が多い。最近犬嫌いの人と話がしたかったので、興味深く話を聞いてみると、犬嫌いになったのは、子供の頃に学校で飼っていたウサギが犬に殺され、その姿が当時の彼女にとっては、余りにも無惨だったかららしい。そして、その犬は飼い主と思われる人と一緒だったという。それ以来、彼女は、その「思い出」のせいで、犬を避け、肉という肉を食べられなくなってしまった。 誰でも、好き嫌いや、自分勝手に思いこんでしまった「思い出」はある。それは、理屈じゃない。生理的なものだったり、その時のインパクトやイメージだったりする。彼女は今、犬はもちろん、犬を飼っている人に対しても不信感や違和感を持っているに違いない。なぜなら、ウサギが襲われたとき、犬の飼い主も介在していたのだから。 未だに日本がアジアの国々から叩かれているのも似ているところがある。戦前の歴史について、日本人からしてみると「私たちじゃない」と言いたいが、先方の「思い出」からすると「日本人全般」なのだ。 同じように、どれほど自分の犬がかわいくても、犬嫌いの人から見ると、犬は犬、飼い主も含め「犬全般」だ。犬嫌いの人のそれぞれの「思い出」。犬好きの人との、溝は大きくて深い。 先日、私はSPCA で保護犬に軽く噛まれた。その犬は推定2.5歳のボーダーコリーのミックス、名前はミヌイ。男性が苦手だと言うことで、普段女性のボランティアの方がお散歩を担当している。ある日、私は細心の配慮をしてミヌイに挨拶をしようとした。ちなみ私は、これからを担う子供達に対して、犬に挨拶をする時、下記のことに気をつけるよう伝えている。 ・ 走って近づかないこと ・ 大きな声を出して脅かさないこと ・ そっと座ってあげること ・ パーじゃなく、グーの状態(握り拳)を作って臭いを嗅がせてあげること etc… しかし、その瞬間。あまりの早さに見えなかったのだが、私が差し出したおやつが入ったグーの状態にしている手をミヌイは噛んだ。一瞬驚いたが、私は手を引かずにそのままにした。もし、手を引いていたら、ミヌイは更に噛んで来たに違いない。 しかし、その噛み方を判断して少しホットした。彼は私を嫌いで、あるいは攻撃したくて噛んだのではなかったからだ。自分自身を守るために私を噛んだ。ただそれだけだった。 そこには、彼のこれまでの「思い出」が存在する。彼には、後ろ右足がない。そして、男性を怖がり、他の犬との社会性もない。首周りも非常に敏感だ。彼の正確な履歴がなくとも、これらの現実を見るだけで、いかに前の飼い主が犬を飼う資格がなかった人であるか、みんなも憶測がつくと思う。そして、この子の傷の深さも。自分の犬をしつけられなくなったとき、人間の特権として力で制しようとする人がいる。ミヌイは明らかに虐待によって、自分の足を失い、挙げ句の果てに、そんな飼い主に捨てられた。果たしてこの子の新しい里親は見つかるのか?足も一本足りなく、他の犬とすれ違うたびに吠えかかり、男性に噛みつく犬を、誰が家族として受け入れるだろうか? 今回、私は、ミヌイにとって「男性全般」だった。これを彼の「思い出」から、ぬぐい去ることは非常に難しいだろう。だが諦めない。彼は生きているのだ。そして、これからも生きていくのだから。彼の傷は犬生消える事はない。その傷を消すことよりも、その傷とつきあっていく方法を考えていくべきだと思う。「思い出」にも色々あるけど、それ以上に、ミヌイが新しい家族に出会え、その家族と一緒に、数え切れないほどの「いい思い出」を作れるように、願っている。 私は、自分に出来ることに努めたい。君に噛まれたこの手の痛みは、彼の心の痛みなのだ。友達になれた証拠だ。帰ろうとすると名残惜しい態度をとってくれるミヌイ。もう、僕の噛まれた痛みはどっかに飛んでいってしまった。 報告: 僕がミヌイを担当して3週間。今、やっと僕の手からおやつを食べることが出来るようになり、一緒に歩けるようになった。 (05.11.01)