14.入店不可

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PETS 「カフェで犬と時間を過ごす」 犬を飼っている人であれば、誰もがイメージしたことがある光景だと思う。今日現在、日本では「ペット可」と称されているカフェやレストランは、都心を中心に大幅に増えてきている。ある特異地域では「ペット可」としないと生き残れないという所もあるという。 果たしてこれから、日本の犬文化はどのように成長していくのだろうか。

ペット産業国としてイメージしやすい New York。現在、ここでは、犬を飼っている人は、それぞれの生活に変貌を見せている。 No Pets お客様に安心しておくつろぎ頂くために、ペットの入店はお断りしております。 10年くらい前まで New York も現在の日本のようであったと聞く。景気が悪いなか、都心で暮らす人々は、少子化ではあったが、ペットとして犬を飼い、癒しを求めた。Manhattan のカフェやレストランは、またたくまに「ペット可」と称してサービス化した。しかし、お店の受け入れ態勢に対して、顧客の方の「マナー」がついていけなかった。 自己のエゴのために飼った「Pets(犬)」を、自分の都合のままに連れ回し、ついには、公の場で他の犬、もしくは他の人に対して迷惑をかける事象が後を絶たなかったのだ。そうして、必然的に「ペット可」とするお店は減っていく。今日現在、犬と同伴で入れるお店は、大きく減った。 室内に関しては皆無といってもいい。かつて犬同伴可であったスターバックスも、現在全店「ペットお断り」である。今では時代の流れか「ワイヤレス・インターネット・アクセス可」と書いてある。時代と商品は常に変わるのだ。 ちなみに、先日「こちらのスターバックスは、犬は入店可能ですか?」と聞いてみた。そうするとスタッフの人は「どこに犬が入店していましたか!?」と血相を変えて犬を探し始めた。「犬が入店可か否か?を聞いたにもかかわらず、誰かが無断に犬を連れて入っているのでは?」と思ったらしい。 すでに New York は、犬にとって、犬と暮らしている者にとって、非常に楽しみづらい街になっているのは間違いない。日本も、現状のまま、犬好きな人が犬好きなまま、公の場を楽しんでいては、ついには生活環境から排他されていくだろう。 それは「犬」という共通点がおりなす結果である。

どこかの公園で、犬が人を噛んだというだけで、犬全般、犬を飼っている人全般が排他されていく。犬と歩いていて、落ちているウンチを無視して歩くだけで、自分自身が「マナーが悪い人」と、とられるように、それぞれ個人がどうか?という問題ではなく、犬を飼っている人全般の問題に関わってくる。 これは、犬を好きではない人、あるいは嫌いな人からすれば当然のことで、彼らが、犬を快適に感じなくとも、不快を感じないように、まずは飼い主が努めるべきである。

「犬は犬である」これに語弊はない。 だからこそ、犬との生活を必要とする者同士、それらをもっときちんと受け止め、「犬ありき」である部分に対しては、飼い主であるあなたがきちんとマナーを守り、それを愛犬に伝えるべきである。環境がどうであろうと、犬には理解できない。 逆にあなたがどのように感じているか?考えているか?に関して、犬は100%素直に受け止める。「正しくコミュニケーションがとれていれば」という条件付で。 犬を家族に迎えている者同士、住みよい環境を作るためには、それぞれのモラルが最重要視される。なぜならば、それぞれ住む場所によって、街々のルールやマナーは異なるし、第一、誰彼かが決めたルールやマナーなんて、大抵はつまらない。

私は、犬の立場としてこう希望する。
「ペット可」と書かれた店が増えることよりも、「ペット不可」と書かれるお店が増えることを。

犬が悪いわけではない。 犬と同伴している飼い主の、飼い主としての意識が足りないのだ。全てを犬のせいにするなかれ。 あなたがお店から拒否されない事を願いつつ、犬嫌いな方が今以上増えないことを期待します。犬嫌いの人が犬好きになるようになるのは難しいかもしれないけど、これなら私にも出来る。 (2005.05.29)