55. パラリピアン

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初めて耳にした言葉。 「パラリピアン」 先日東京プリンスホテルで行われた「トーク交流イベント 夢を翔る 〜パラリンピックアスリートからあなたへ〜」に参加した。2008年夏に開催されるパラリンピックの壮行会のようなものかと思っていたら違った。 会場は時間前にも関わらず人で埋め尽くされ、私は一番後ろの方に席を取った。主催者の挨拶があり、イベントは進んでいったのだが、会が進むにつれて次第に自分自身を客観視する自分に気がついた。 司会を務める荻原健司さんはもちろん、トークをするアスリートの方々の声はどれも歯切れがよく、はつらつとしていた。私は落ち着かなかった。私はステージが遠かったため、どんな方々がステージに上がっているのかよく分からなかったので、事前に配布されたパンフレットを手にとって広げてみた。そこにいたアスリートとは・・・ ・ 河合純一 先天性ブドウ膜欠損症という目の病気で生まれつき左目の視力がなく、中学三年生で右目の視力もなくなった。筑波大学付属盲学校、早稲田大学教育学部と進み、1998年4月、母校の静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学の社会科教師になる。日本でただ一人の全盲の熱血教師。1992年バルセロナパラリンピック競泳100、50メートル自由形で銀、1996年アトランタパラリンピック競泳100、50メートル、自由形で金メダルを獲得。2000年シドニーパラリンピック競泳100メートルで銀、50メートルで金を獲得。 *書籍 「夢をつなぐ‐全盲の金メダリスト河合純一物語」澤井希代治著 「夢追いかけて」 自著 「生徒達の金メダル 夢輝かせて」 自著  「ぼくが映画にでたあの夏の日のこと映画夢追いかけて撮影日記」 自著 ・佐藤真海 早稲田大学入学とともに入部した応援部チアリーダーズで活躍していた2001年冬、骨肉腫を発症。2002年4月に右足膝下を切断し義足の生活に。治療とリハビリを経て、2003年1月からスポーツを再開し、走り幅跳びでアテネパラリンピックの出場。(9位)2006年のワールドカップでは銅メダルを獲得するなど、実績を積みながら北京パラリンピックを目指してトレーニングに励んでいる。 *書籍 『ラッキーガール』 自著 集英社刊 『パラリンピックがくれた贈り物』 佐々木華子著 メディアファクトリー刊 ・ 京谷和幸 北海道出身。89年室蘭大谷高校から90年古河電気工業(株)に入社。バルセロナ五輪の候補にも選ばれ、91年にジェフ市原とプロ契約。93年Jリーグ開幕半年後に交通事故により脊髄損傷、車いすの生活となる。リハビリの一環として始めた車椅子バスケットボールでパラリンピック日本代表に。現在は、広告代理店勤務の傍ら、「千葉ホークス」に在籍。妻と一男一女の父。「夢を持てば何かが見つかる」をテーマに講演などでも活躍中 *書籍 『車椅子のJリーガー』 立ち上がった。ステージに見入った。そして私は自分の目を疑った。離れているからよく見えなかったのだが、そこにいた人たちは一般的に「ハンディ(身体障害者)」と呼ばれる方々だった。私は自分が恥ずかしくなった。動物と暮らすことによって「感じる」事の大事さを日々伝える仕事をしているが、「アスリート」と聞いて健常者を勝手にイメージしていたボクがそこにいた。ステージで堂々とコメントをする彼等を見ていて、気持ちが解き放たれた。楽になった。彼等の言葉からネガティブな要素は感じられない。エネルギーに満ちあふれた笑顔に出会えて感謝した。 動物(犬)は、見た目を気にしない。靴下に穴が空いていようと、コーディネートがおかしかろうが、寝ぐせがついていても全く気にすることはなく、全部ゲームにもっていってしまう。靴下の穴に鼻を突っ込んで穴を広げる。シルクの服を着ていようがジャンプする。メイクをしていても顔を舐めてくれる・・・ 犬が嫌いな人を犬が理解できるのも、好きな人を直ぐに分かるのも納得がいく。彼等は常に「感じ」ているのだ。その対象物を覆うものに関係なく、本質を見抜く。それは本来、肉食獣にとって生きていくために必要最小限の能力だったに違いない。相手がどのような行動と心理状態にあるか?感じ取る事が出来る。 だから、動物は相手が健常者であろうと身体障害者であろうと関係なく我々人間と接することが出来る。そこには境界線は存在しないのだ。我々人間が目に頼りすぎる。実際、人間が何かを認識するときに「眼」から入ってくる情報に頼るパーセンテージはどのくらいか?なんと86%。大事な物に気づくことは容易ではない。 確かにハンディの方々は見た目で判断できるだろう。一方、世の中には目には見えないところが健全でいられない人も多くいる。例えば内臓や循環器の疾患。見た目は健全そうに見えても、大変な方々はいる。よく考えたら、私もハンディかもしれない。 私の左目には水晶体がない。コンタクトなしでは視力が出ない。アクシデントだったのだが、11歳の時に裁ちバサミで眼を突いて手術後2ヶ月半入院した。当時は失明だと伝えられていたが、主治医の施術のお陰で奇跡的に失明を逃れることが出来た。現在、黒目に白いラインが今でもしっかり残っているが、見た目はそれ程分からない。しかし、野球のボールが見えない。お酌が出来ない。注ごうとしても距離感がつかめない。 物理的な不利を克服し、一般の境地を超えたアスリート、それがパラリピアンだ。普段の生活の不自由に屈さず、我々には想像も出来ないだろう苦しみからはい上がり、希望という光りに向かって挑戦を続けるパラリピアンの姿には「感動」をおぼえる。誰もが胸に抱いているコンプレックスや逆境。それに堂々と立ち向かい、挑戦し続ける彼等を見ていて、僕は元気をもらう。できれば、自分も「感動」を与えられるような人になりたい、とも思う。 そんな大事なことを、いつも犬たちは一緒に暮らしていて教えてくれているはずなのに、つい忘れてしまう。でも、一緒にいるからまたいつでも思い出せる。思い出させてくれる。毎日がパラリンピックだ。駄目なところは沢山あるけれど、諦めない。大事なのは、挑戦し続ける力。 パラリピアン。 見る目が変わった。 今年開催される2008年パラリンピック。この夏が楽しみだ。 (08.04.07)