41. プライド

title
noimg
このコラムを書いている今、私のポテンシャルは下がりまくっている。 実は先日、肩の当たりに赤くて小さい斑点のようなものが出来、気になったため、近くの皮膚科を捜し、診察してもらった。 先生は、ずっとなにか机に向かいながら、私の話にうなずきながら、カルテを書いているようだった。そして、症状は判断され、飲み薬と塗り薬を渡さされた。私は先生に「患部を見ないのですか?」と聞いた。そして先生は仕方なさそうに右肩の患部をチェックし、診察は終わった。一週間様子を見て再度見せて下さいということで、指定された飲み薬と塗り薬を受け取った。あまり説得力のない診断だったが、専門医の判断であるし、自分の判断よりも、ずっとプロだと思い、指示通り一週間様子を見た。 日々、広がる患部と不安。一体「様子を見る」というのは、どういう事なのか?考えた。少なくとも改善に向かうだろうと判断したから出された指示。しかし、実際患部は悪化しているように見えた。私は一週間を待てずに再度病院を訪れた。そして名前を呼ばれ診察室へ・・・ 「先生、指示通りに努めたのですが、どうも悪化しているように思います」というと、先生の応えは「そうだねぇ、薬を変えてみようか」という。私は左肩の患部を示し「左肩の方も、先週よりもひどくなっていると思います」と伝えると「左肩もだったとはなぁ」といい、また机に向かう。そして私は質問を続けた。現状は現状として ・ 何故、このような症状になったのか?原因と理由が知りたい。 ・ 一週間様子を見るというのは、どこがどう変化するのを見ることだったのか? ・ 何故現実である患部をもっとしっかりと診断しないのか? 先生からの応えは、非常に残念なものだった。 「正直、今日現在皮膚科医療というのは、分からないことが沢山あり、『これだ』という原因究明は難しいからね」 犬の仕事を想う。我々人間は、未だ人間のことも知り得ていない。だのに、数年犬のことを専門的に勉強し、現場を経験したからといって、ドッグトレーナーは、犬のことを全て分かり切ったような気になってはいけないと思う。それぞれの経験値を通して、願わくは100%に近い確率で判断、認識をする。しかし、その犬のことを誰よりも分かっているのは、ずっと一緒に暮らしている家族のはずだ。数時間一緒にいたからといって、全てを分かり切ったようなつもりになってはいけないと私は思っている。しかし、犬の行動と、人のつきあい方を見て、客観視でき、的確で必須なアドバイスをだせることは可能だと思う。そういう、うちに秘める「自信」が相手に安心感を与えると同時に結果を残せるのだと思う。そういった「自信」は自らアピールする必要はない。 今回の先生の言葉に、その道のプロとしての「プライド」を僕は感じることが出来なかった。皮膚科専門医として肩書きがあるため、自らアピールする必要はないのか?は分からない。 その後、症状は更に悪化した。病院を変えて分かったことなのだが、最初の病院でもらった塗り薬が、現在の症状に至るまでの全ての原因であることが分かった。初めはただの軽い湿疹だったものが、何十倍、何百倍に悪化した。もちろん、その塗り薬を塗ったのは自分なのだから、責任は自分にもある。しかし、専門医に相談した自分にとって、その人は頼らざる得ない人であり、受け入れたいと思うものだ。誰にでも判断間違いはあるだろうから、その医師を責めるつもりはないが、私は少なくとも彼から「専門医師」としてのプライドを感じたかった。 ドッグトレーニング。家庭犬のトレーニングであれば、そこには人と犬、そしてトレーナーが介在する。犬に対してはもちろん、トレーナーは、人に対して安心感を与えられなければならいと思う。その為には、自分のトレーニングに対する「プライド」が必要だ。これは、他のトレーニング方法を否定する事から生まれるのではなく、自分自身が信じる「信念」から生まれるもの。その「信念」は、結果を残せた時に「信用」となり、相手から頼られるようになって初めて「信頼」となるのだ。プライドは争いをうむのではなく、気持ちよく、そして輝いているものなのだと私は思っている。 このコラムを掲示できるときには、患部の炎症は治まっていると思う(実質、発症から6ヶ月経ちました)。最終的に駆け込んで診てもらう事になった先生が、私には、後光が差しているように見えた、というのは大げさではない。気持が落ちている自分に安心感と勇気を与えてくれた先生のお陰で、自分という生身の体を客観視できたと同時に、生き物を相手に仕事をすることの責務について再確認することができた。ますますこの仕事が好きになった。 (07.02.20.)