「排泄物は、飼い主がきちんと持ち帰りましょう」今や、どこの公園でも見かけるサイン。以前、某テレビ局の収録の際、公園での撮影許可がおりなかった。 なぜならば、今日現在、東京都の条例では「犬を連れ込んでいい公園はない」事になっているかららしい。 ならば、都内に住む犬は何処を散歩するというのか?とりあえず、都内の公園での散歩は、暗黙の了解となっているという。
そういう状況を引き起こしている原因はいくつか考えられる。コントロール出来ない犬を野放しにし、他の方々にご迷惑、あるいは怪我をさせた場合。これは、しつけという観点から、これから、トレーナーがサポートできる分野ではあると思う。しかし、排泄物の放棄からくる衛生面の問題は、どうだろう?「歩いていたら犬のウンチを踏んだ・・・」なんて、どうしたら、飼い主がみんな、自分の犬の排泄物処理を、責任持って出来るのだろうか。
@West Vancouver。ここでは、飼い主がスーパーの袋を持ち寄って、それをみんなで共用している。New York では、法律で、排泄物を拾わなかった場合、最大 US$200(約2万5千円)の罰金が科せられる。また、Vancouver では、最大 CD$2,000(約18万円)の罰金が科せられる。
しかし、現実、公園や街路にはウンチが落ちている。つまり、人(犬の飼い主)は、こういった当たり前の事を、「規律」では守れないということだ。自分の家族の排泄物の処理も出来ないなんて、情けない。我々犬を家族として受け入れている方であれば、このフィーリングは分かってもらえると思うが、日々の犬の排泄物が「しっかりとした、いいウンチ」であることほど嬉しいことはない。いつもと違う色や堅さだと、直ぐに犬たちの体調の変化を診る事が出来る排泄物は、大事な犬の健康のバロメーターである。。
Vancouver では、殆どといっていい公園に、市が用意した「ウンチ袋」が設置してある。散歩の際、少し多めにその袋を持ち、放置された排泄物を拾っていくのだが、改めて分かったことがある。素手ではないものの、ビニール袋を介して感じることが出来る排泄物の「温度」。愛犬の排泄物が暖かかったら「生きているものの証」だと喜びを感じるが、もし、愛犬以外の排泄物が暖かかったら、不思議と違和感を感じる。そして、排泄物を拾い、持ち歩くときの重さ・・・これも愛犬か否かでは、大きく感じ方が異なる。なぜ、そう感じるのだろうか?
犬に寛大のようなVancouver でも場所によっては、犬立ち入り禁止の区分は非常に厳しい。おそらくそれは、排泄をした「犬」に対してではなく、愛犬の排泄物を無視・放置した飼い主に対する「想い」からくるものではないかと思う。
写真左:公園にあるサインには「自分の犬のウンチ位は拾いなさい!」と書かれてあった。他人に言われなくても、当然のことである。
写真右:これは、Vancouver の公園のゴミ箱。野生の熊対策であるらしいが、これだったら、犬のウンチを捨てても臭いは漂わないらしい。
そして、今 Vancouver に滞在していて、初めて愛犬の排泄物を「隠す」飼い主を目の当たりにした。いつもだったら「ウンチ袋余分に持ってますよ」と声をかけるところだが、今日に限って余分に持ち合わせていなかった為、すれ違う手前から相手の様子を見ていたのだが「あら、まぁ」なんて独り言を言いながら、枝で隅にずらす作業が目に見えた。正直、それをみている自分の方が恥ずかしい気持ちになった。そして、再度違う場所ですれ違う機会があったのだが、お互い、目を合わすことはなかった。
排泄物の問題は、まだまだ沢山ある。しかし、そこがどこであろうと愛犬の排泄物の管理と処理を飼い主がすることは、飼い主として当然の責務だ。明日もそこの公園をお散歩したいのであれば、まずは犬の飼い主として、自らの楽しみ(生活環境)を守るためにも、最低限愛犬の管理をしてほしい。そして、かっこわるい飼い主に対して、せめて見本になる飼い主であって欲しいと思う。
犬のウンチ。「喜び」のウンチになるか、「悲観」のウンチになるかは、あなた次第。
(2005.8.29)