人間と犬。
その歴史は古い。
犬は人間の暮らしを守る役割として生活を共にし始めたが、その「共存」という関係の為には、何かしら「同類」であるという「共通点」があるはずである。
犬を飼う人と飼っていない人との「共存」について、NPO 法人 gentle one が、2005年5月11日から、本格的な活動を始めているが、gentle one の活動の最終目的は、この「共存」である。メンバーでもある私は、「共存」とは、双方の「同類項」を見つける活動でもあると思っている。
ボクは、時間をとれるときに上野動物園に行く。平日だと、本当に穏やかな時間が流れていて、心地いい。遠足の団体と重ならなければ、ほぼ貸し切り状態だ。動物園は、様々な催しを常々開催しているが、ボクの対象は、「Dhole ドール」イヌ科の肉食動物である。
別名「アカオオカミ」と呼ばれる、この動物は、ボクたちに様々な表情や動向を見せてくれる。
300坪あると思われる敷地は、5頭ほどの Dhole の為のスペースであり、彼らは、池や様々に織りなす木々の茂みの間を悠然と、時には激しく動き回る。そのペースは、まさに自然の時計に任されている。Dhole は、人間がカメラを持ち、止まって欲しいと思うときに限って動き、逆に動いて欲しいときには、動かずに寝ている。ここにいる以上、彼らの時間に人間が合わせなければならいのだ。
そんな彼らを眺めていると、様々な、イヌ本来の習性や生態を垣間見る事が出来る。
まず、誰かが動き出すと、周りの Dholeも追うように動き出す。まさにそこに理由など存在しない。 理由など聞く間もなく、ついて行く。それは、現代の犬にも同じような動向も、もちろん見られる。
ドッグランでじゃれ合う犬達。もし、その中の1頭が、ある方向に急に走り出したとしよう。そうすると、必ず周りにいた犬もその犬を追っかける。そこに理由などはもちろん存在しない。体が動くのだ。自然と。
次に、距離感。現在、家庭犬としておうちであぐらをかいている犬達。まさに愛玩犬としてその勤めを全うしている子達は、今も家族の人がリビングルームでくつろいでいると、そっと寄ってきて体の一部を接触させて(身を寄せて)同じようにくつろいでいるのではないか?
しかし、彼らは元々の自分の「勤め」を、敢えて「家庭犬」として修正しているといっていい。というのは、本来イヌは、接近を嫌う習性がある。
犬は、接近に対して違和感をおぼえる生き物である。
Dhole を見ていると、その習性をはっきりと見ることが出来る。その広々とした空間の中、彼らが体を横たえ休む時には、それぞれが同じほどの間隔を保つ。その距離感は、ほぼ一致し、特に放れていたり、特に接近していたりはしていない。そうやって、自分たちのテリトリーを守っているのだ。
この点について、人間と我々犬と、どういう「共通点」があるのか?ずっと考えていた。現代、人間と犬が「共存」できているのだから、そこには必ず「同類項」があるはずである。
New York にある、セントラルパーク。翻訳すると「中央公園」に間違いはないが、その規模と壮大さには、ここが Manhattan であることを忘れさせるし、だからこそのセントラルパークであることを実感できる。
その中にビルディングをバックに芝生が広がる Sheep Meadow という場所がある。ここには、週末ともなると、その広大なスペースを Manhattan に住むファミリーが埋め尽くす。子供も安全に遊べる場所として、犬は入れないのは残念だが、基本的に犬可である公園であるので禁止区域を称しているのは快い。
平日この場所に行くと、非常におもしろい光景を目にすることが出来る。まさにそこに見られる光景は、現代の人と犬の「同類項」そのものである。広々としたスペースに対して、それぞれの心地よい距離感を持って、寝そべったり食事をとっている人々。その距離感は、まさに Dhole そのもの。
周りの人の動きに反応はしないものの(笑)、全体的に見ると、均一した距離感を保っているのが分かる。おそらく、となりのグループが近くに移動してきたとしたら、近づかれた人は、ちょっとした違和感を感じるのではないだろうか?本来、ヒトもイヌと同じような「同類項」を持っていたからこそ、現在に至る長い「共存」を遂げ、現在に至るのではないかと思う。
これからの「犬を飼っている人」「犬を飼っていない人」との「共存」も、そんな「同類項」を捜すことが出来たら、日本でも、お互いに心地いい生活空間を創造することが出来るのではないか?と思う。
最後にひとつ考えたことがあったので記載しておきたいと思う。
もし、日本に同じような空間が存在したら、互いの距離感は同じだとしても、順番的には周りから埋め尽くされていくのではないだろうか?最初から真ん中に陣取る人は、日本の文化からして比較的少ないだろう。むろん、ボク達は、どこであっても飼い主が一緒だったら、うれしいのだけれど。
(2005.06.01)