“自然と向き合う”ことの難しさを再認識する。
今、私の実家がある宮崎・都城では霧島連山新燃岳(1421 メートル)の噴火が住民を悩ませている。前回の噴火は母が中学生の頃だと言うから、50年ほど前になる。1866年,寺田屋で襲撃され負傷した坂本龍馬が傷の療養を兼ねて,妻・お龍を連れて登ったのも、新燃岳があるこの霧島連山。私達は幼い頃から、この山を観て育ち、幾度となく登山もした。活火山であることから、自宅周辺には両手で数え切れないほどの温泉があるため、その日の気分で浸かる泉を選べるほどであった。
先日参加した某シンポジウムで東京大学名誉教授の養老孟司先生が、こう話されていた。「昨今の都会での生活には『自然』が減ってきている。犬や猫といったペットを飼う人が増えてきたのは、自然である動物を生活で補填しようとしているのではないか?また、ヒト自体も『自然』であるが、今も尚、人間がヒトの神秘を紐解こうと研究が続けられているわけであり、『これを食べたらキレイになる』などと、自然をコントロールすることは、そう容易ではない。」と。
本来、自然というのは人間にとって未知のものである。都会では自然を取り入れようとする私達だが、自然の中で暮らす人にとっては、自然は自分たちに恵みも与えてくれるが、災いももたらすものである。だから、自然に敬意を払い、拝み、感謝する。
先日、仕事をご一緒させていただいたカメラマンさんは、空好きがこうじて、空を撮るだけではモノ足りず、気象予報士になったそうだ。彼曰く、気象というのは、様々な要因が影響し合っているので、気圧配置だけで天気を予測することは出来ないのだという。また、これまでの天気の経緯を知ることも重要で、「今」の蓄積が「今」の天気なのだと言っていたのが興味深かった。
犬は「今」を生きている。過去を後悔することも、先を憂うこともない。学習は経験からのみ行われ、環境によって行動は大きく変わる。そういう意味では、私たちの仕事というのは、気象予報士が空を観あげ雲の動きや今後の天気を予測していく行程と似ているのかもしれない。その犬の現在の行動から過去を推測し、飼い主という環境因子との関係を整理し、これからの立ち居振る舞いを飼い主の方に提案していく。その法則性には類似性を感じずにはいられない。
実際、気象庁では、過去のデータを元に、気象を数値化し、「晴れのち曇り」のように般化している。犬の行動についても、過去の情報を数値管理出来れば、より適切な判断が可能になり、やるべきトレーニング内容を分かりやすく提示できるのではないか?と、一人考えている。
「自然と向き合う」とは、人間にとって、生涯の課題である。
(2011.2.5)