Dogship web site 「犬をしつける」ドッグトレーニングから、 「犬から学ぶ」ヒューマン・ドッグトレーニングへ。
2006年
10月16日

36. シスター:鈴木秀子

「信仰と希望と愛は、いつまでも残る。最も大いなるものは愛である」

今、私が学んでいる動物の世界。人間をはじめ、動物の世界には三つのサイエンスが存在する。「1.生理学 2,心理学 3,神学」我々人間が一番取っつきやすいのが1の生理学。これは、「腹筋をすればウエストが引き締まる」といったように、とても分かりやすいサイエンス。そして、次に馴染みが深いのが2の心理学。「自分に自信がないと、目を合わせられない・・・」という心理は、誰もが実感できる感覚だと思う。そして、最も難しい(馴染みが薄い)と言われるのが、神学である。何かを信じる力、自分を信じる力、そこから生み出される信じられない世界とも言われる神学の世界。1と2が不安定であっても、3の精神が確立していれば、ある程度のことはクリアーできると言う。これは、先日の 2006年ワールドカップでも見られたように、国の名誉を守る、プライドを守る、家族を守る、そんな思いを強く持ったヨーロッパ勢のプレイが光っていたように、そういう思いは、僕達には想像が付かない力を持つ。

先日私は、スピリチュアルな世界の伝道師:鈴木秀子先生のセミナーに参加した。ずっと気になっていたシスター:鈴木の講演。そこで頂いたテキストに、私は、我々が再確認すべき、大事なメッセージが含まれているように思えたので、この場を持って紹介したいと思う。

「かけがえのない自分」

使徒パウロのコリントの教会への手紙

(皆さん、)あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。

 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。

愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全な者が来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、私は幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

全体を通して感じたのは、「幸せ」は、我々の身近なところに存在するということ。他に懇願したり、現状に不満をもらすのではなく、既にある身の回りの「幸せ」に気づく事が大事であるといっているように思う。

普段一緒に暮らしていると、何気なく感じる近くにいるものの存在。イライラしたり、叱ったりする事があったとしても、我が子が生きている、生きていてくれているという事の幸福感。その「幸せ」はすでに犬は僕らに与えてくれている。

我々人間の欲は、限りない。もっと、もっと!という気持は誰でも持ちうる感覚だろう。しかし、欲するものに対して「中身」が伴わなければ、得られるものは小さい。トレーナーとして常に向上心を持ち、勉学に励むことは必須である。しかし、犬の知識をどれ程持ち合わせていても、相手に対する「想い・気持」がなければ、それはいらないもの。所詮、伝わらないものとなる。独りよがりの、自己満足。犬の経験をし、精通していたとしても、凄いことを言ったとしても、偉いことをしても、本当にそこにいる相手を大切に思えているか?そのジャッジをするのは、まさにごまかしがきかない自分自身なのだ。さらにいえば、誰かのため、動物のためといったボランティア活動も、自分の欲や得の為であるとしたら、それはナンセンスだ。

以前自分はこの仕事一本で活動する前、ブライダルのショーの仕事をしたことがあった。その頃、よく聞いていたのが「愛は忍耐強い・・・」のフレーズだった。今でも暗唱できる。その頃から、ふと不思議に感じていることがあったのだが、聖書等に書かれている文章には「こうしましょう!」といった事は多く書かれていない。「これはしてはいけない」「これもしてはいけない」人としてやってはいけないことが列挙してある。それは、人の喜びの感じ方、価値観というのが、人それぞれだからであろうと思っている。そして、自分がどういう方向に向かっていきたいのか?どういう人になりたいのか?しっかりと「理想」を持つこと、「目指すもの」があることが重要であると言っているように思う。

犬のしつけに対する考え方も同じ事が言えるのではないか?犬と一緒にいて「幸せだ」「楽しい」「嬉しい」と思う瞬間というのは、人それぞれだ。大事なのは、その考え方ではなく、自分自身の「目標設定」と、「最終到達点」のイメージ化なのではないか?それが、犬に対する想い、それが自分自身と周りの人の力になり、理想が見えてくるのだから。

シスターの文章の最後に書かれている部分「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」私は、この文章にある「信仰」とは、無の自分で向き合う対象という意味で「犬」ととらえたい。「希望」とは、犬がいる生活において、万人にとって住みよい文化になって欲しいという意味合いから「犬文化」。そして「愛」とは、我々人間の事なのではないか?と思う。自分だけでは生まれ得ない、人とひとがいるから生まれる「愛」。

最後に、今回のテーマを象徴する言葉を記載します。

これからの、私の活動で課題となる言葉。

いい国であるか、否かを評価する

たったひとつのポイントとして

金持ちの国でもなく

軍事力のある国でもなく

そこに・・・ある命が・・・

大切にされているか、どうか・・・

それが基準となるのではないか

(06.10.16.)

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